地震発生から今日まで

 11日金曜日に東海は震度6弱地震。3連発で同じような地震があり、とりあえず外に逃げる。あとは施設の点検というか水漏れを止めて、破壊されている所をチェック。原子炉や管理区域のある建屋や元々研究室や実験室だった建物は強く、地震の影響はそんなに出ていないのですが、一般居室等は普通の建物と変わらないので、結構な被害が出ていました。


 停電になり信号もなく、道も寸断されて、帰宅が大変。自転車なので、渋滞は関係ないのですが、信号も街灯も消えているので、ゆっくり走って帰宅。途中で道が陥没していて、びっくりしたりしながら、真っ暗な中を帰宅。ボロボロの独身寮なので、建物がダメになっているかと思ったら、渡り廊下のところにヒビが入っているくらいで、部屋はなんとも無し。夕食がないので、帰宅して、緑のサイリウムと白のサイリウムを使って、ぐちゃぐちゃの室内から食べ物を見つけて、食べて、冷蔵庫にある水を飲んで、余震に揺られながら寝ました。


 (土曜日)翌朝起きると、引き続き停電で、水も出なくなっている。役場とコミュニティセンターで水を配ると言うことなので、村役場に並ぶ。8時過ぎに並んで水を貰えたのが14時近く。6時間くらい並びました。その後村内をうろうろしていたらイオンで店頭販売をやっていたので、並んで、飲料とお菓子を購入。冷蔵庫にチーズとレタスがストックしてあったので、それと合わせて、なんとか1日を過ごしました。
 18時過ぎには真っ暗になってしまい、電気が無く寒いので、唯一暖かく過ごせる布団に入り、早めに寝てしまいました。


(日曜日)朝起きて、携帯も圏外になっていて、自宅に連絡がつかないのと、友人にムラタさんラストイベントのチケットを発券してもらわないとならないので、公衆電話に電話をかけに行く。その帰りにイオンの前を通ったら列が出来ていたので、並んで見る。8時過ぎに並んで、10時過ぎに販売開始。貴重な2リットルの水と2リットルのお茶と缶詰などの食材を入手。レタスにツナ缶を包んで食べて、食生活に変化が出来る。その後何か無いかと東海村内を自転車でうろうろすると、スーパーSEIBUで店頭販売していて、リンゴなどを購入。その後またうろうろしていると職場の先輩に会って、役場の水供給が昨日の3分の1くらいしかいないと聞かされて、役場に向かい水を貰う。偶然部屋に6本500ミリペットがあっただけなので、それに入れて貰っていました。

 独身寮のみんなで裏庭に穴を掘って、当面どうしようもないので、大便用の簡易トイレを製作。小はなんとかなるのですが、大はどうしようもありませんでした。

 日曜日の夜にやっと電気が通じる。その日は久々の明るい夜を過ごすことが出来ました。


(月曜日)職場は施設点検のために担当職員以外は、自宅待機。食材購入のためにイオンに8時前に並ぶ。11時に販売開始で、2リットルペット1本500ミリペット1本、パン2袋、野菜1つ、果物1つ、その他でカップめんを購入。水は貴重だけどお湯が沸かせるようになったので、これまで買っても意味が無かったカップめんを購入出来ました。帰宅して、昼食にカップうどんとホットコーヒー。温かいものを食べたのは金曜日の昼食以来で、炭水化物もこれ以来。うどんとコーヒーの上手かったこと。やっとちょっとまともな食事が出来たのは嬉しかったです。


 その後水を貰いに役場に行ったら並んでなくて、あっさり貰える。まだイオンで販売が残っていたので、水分やお菓子など買えるものを購入。これで水以外は当面生活には困らないだけの物資は手に入りました。


 まだ断水は続くみたいだし、不便な生活は続く。常磐線が開通してくれたら東京に戻れるんだけど、いつのなるのやら。村内の道路も各所で寸断されている。地震が本当に大変なことを身にしみました。ただ、東海は、家屋の倒壊は無く、津波被害も無かったので、東北地方とは比べ物にならないくらい被害は少ない。生活がちょっと不便なだけ。食料や飲料が並べば手に入るというのは恵まれていると思う。

 電気や何でも手に入る環境がこんなにありがたいものだと痛感しました。


 こんな感じで被災者生活を前向きに過ごしています。